授業って、先生がたくさん話してもいいものなんでしょうか?
また、生徒はただ見たり聞いたりするだけで、ためになっているのでしょうか?
近年、アクティブラーニングという新たな教育が導入されています。
アクティブラーニング、これを和訳すると、能動的な学習となります。
もちろん、生徒が能動的に学ぶという意味です。
これは、従来の教育が受動的であり、それを縮小していくことを示唆しています。
受動的に構える習慣を生徒につくらせてはいけないと、私は常に思っています。
そのため、当校では、生徒が能動的に振る舞える環境をつくっています。
例えば、授業中、生徒が発言する機会がたくさんあります。
「○○はどうしてこうなるんですか?」という定番の質問はもちろん、「○○は△△ってことですね?」という確認をするように促しています。
生徒の発言が多くなってくると、授業が盛り上がってきます。
着目する部分が、指導員とは異なる場合があります。
これにより、生徒は自分が知りたい情報が得られるし、周りの生徒にも刺激が与えられます。
「そういう部分にも目をつけるんだな。じゃあ、自分もやってみるか。」のように。
生徒の発言が多すぎて時間的な制約を受ける場合は、私がストップをかけるときがあります。
数年前の中3の授業で、ストップをかけたことがありました。
そのときは、英語の長文問題を題材に、1時間に30もの質問や確認が出ました。
1人の生徒が出して、それに私が答える。
間を空けることなく、次の生徒が出して、同様のやりとりが行われる。
そして、知らぬ間に時間が過ぎ、1時間経ったことに私も生徒も驚いていました。
まさに、充実したと言えます。
生徒の発言が当たり前になってくると、新たな課題が生まれます。
それは、発言のしかたを学ぶことです。
今までは、「どうして○○になるんですか?」と簡単にした言えなかったのを、「○○になる理由は△△だからってことですか?」と、より具体的に言えるようになると、発言のレベルが上がったことになります。それと同時に、理解力も高まってきています。
指導員が一方的に話して、生徒はただそれを聞いているだけの塾は、生徒が損をしていると思います。
学んでいるのは生徒であり、生徒が主役となる必要があります。
学習者は、説明を聞いたりテキストを見たりという入力だけでは物足らないはずです。
自分が分かっているかどうかを試すための出力無しでは、真の学習者とは言えません。
このような考えから、当校では今後も生徒の発言を重んじる塾にしていきます。
ティークラムホームページトップへ