学校の成績が良ければ頭がいいと、容易に評価する生徒は少なくありません。
実際、生徒の会話でそういった内容を耳にしてきましたから。
近年の教育改革で、思考力を向上させることが課題となってきています。
それは、知識中心の学習のあり方に問題があるからだと考えられます。
どんな問題なのか?
1つは、思考力ゼロだと評価されている若者が増えたことです。
実際、企業の管理職の人たちは、こういった若者に悩まされているそうです。
「言われたことしかできない。」「自分の意見が言えない。」「仕事を応用できない。」など。
このような残念な風潮を、教育者が変えていくべきだと私は思います。
私は教育者の1人として、生徒たちの思考力を向上させることを指導内容の重要事項としています。
ただ、答えと解説をするだけなら、大学生の先生でもできます。
私だからこそできることを、生徒たちにしてあげたい。
それが生徒のためだけではなく、社会貢献の一環にもなっていると確信しています。
しかしながら、指導員が一方的に熱くなっても、生徒のやる気が無ければ意味はありません。
学科の勉強のように、番数で数値化されるものではないので、やる気にさせるには労力を費やします。
正直、骨が折れる思いをすることが多々ありますが、やめようとは思いません。
「困難な山を越えるからこそ、得られるものも大きい。」なんていう座右の銘を持っているからです。
思考力の大切さに深く共感して、以前と比べて成長したと感じた生徒はいます。
以前は、何でも「はい、はい。」としか答えられなくて、まるで、赤ちゃん(笑)のようでした。
時間を重ねるごとに、話す内容が多くなってきました。
その内容から、いろんなことを考えて話しているなと感じたのです。
思考力を養う手段は、会話だけではありません。
本を読んでいるときに、1段落ごとに自分の考えを心の中でつぶやいたり、疑問を持ったりすることや、何でもない景色を見たときにあれやこれやと考える癖をつけることも、思考力は高まります。
当校には、思考力を磨こうと頑張っている生徒がいます。
特に、ミスを恐れずに磨きをかける生徒は誇らしいです。
そんな生徒には、思考力の高い人材になってほしいと強く願います。
「言われたこと以上にできるなあ。」「自分の意見を論理的に出せるなあ。」「仕事を応用して成長しているなあ。」なんていう言葉を、将来の上司からもらえることを目標にしてはどうでしょうか。
とは言っても、英語や数学などの学科の勉学を基軸にすることが前提となります。
学科の成績を考えずに思考力を磨こうとすると、本末転倒になってしまいますよね。
今週卒業する中3生(ティークラム16期生)のみんな、ここを去っても思考力を磨くことはできます。
どう磨いたらいいのか困ったら、本を読むなり、ネットで調べるなりして、前進しましょう。
思考力の高い人になっていくことを、陰ながら応援しています。