言及するまでもないが、取り組みの良し悪しは正答率でほぼ決まる。
たまに、クラスメートに答えを見せてもらって、それをただ写して100点なんていう残念な生徒もいるようだが・・。
正答率以外では、字のていねいさで大体の良し悪しが判断できる。
走り書きで字が薄かったり、消しゴムで消したのか消していないのかがはっきりしないものは、たいてい出来栄えが悪い。
当校では日ごろから相手に伝わる字で書くことや、完成度の高いものを提出することを、しつこく言っているのにもかかわらず、平気で駄作を提出する生徒がいる。
そんな生徒は、多分、自己流を貫きたいのか、話を聞いていなかったのか、あるいは、一種の病気だろう。
ある程度までは注意を促すが、永遠に相手にするわけにはいかない。
素質のある生徒に力を注ぐ時間や労力を残しておかなければならないからだ。
それとは対照的に、1文字1文字に魂が込められていて、濃い目の字で書かれているものは、たいてい出来栄えが良い。
家庭でどんなふうに取り組んだのかが推測できる。
おそらく、時間に余裕があるときに、きちんとした姿勢で集中して行ったのだろう。
そうでなくても、完成度が高ければ、結果オーライだが。
当校では、あまり形のある宿題は課さない。
理由はいくつかある。
第一に、学校の宿題も大切にするべきだから。
第二に、勉強の質を高める訓練が大切だから。
第三に、復習を重んじて、内容を定着させることが必要だから。
もし、学校と塾両方の宿題を済ませて、復習が完璧だと言える生徒が現れたら、何か特別な課題を与えようと思っている。
そんな生徒は、勉強のパフォーマンスがかなり高いと思われる。
カリスマスチューデントと呼んでもいいのではないだろうか。