あることができなくて、1回目軽く指摘。
後日、同じことで2回目少し強調して指摘。
後日、またもや同じことで3回目大きな声で指摘。
これはよくある私の指導の3活用です。
場合により、4活用以上もあります。
あまり活用が多くなると、ストレスに感じてきます。
できればこの状態を回避すべく、別の手段を常に考えています。
学力や成績を上げる過程で、どうしても譲れないことがいくつかあります。
例えば、正確さです。
これは、当校の生徒たちの持つべき精神の1つにもなっています。
見直しをしっかりしてから提出するようにとよく言っているのに、凡ミスが目立つものを平気で出す生徒がたまにいます。
こんな生徒には説教をしなければなりません。
ことの重大さを生徒に気づかせる目的で説教をします。
私が心がけていることは、感情を抑えて一方的にならないことです。
これは正直、結構難しく、できないときもあります。
心の中では、「何回言わせるんな!いい加減にしろよ!」と、はらわたが煮えくり返っています。
説教は生徒のためのものであって、自分の感情を発散するためのものではありません。
この点を見失うと、説教は無駄に終わります。
上手な説教と言えるのは、生徒が本当に納得したときだと思います。
私にとって、説教をすることは、学科の指導よりも数倍難しいです。
だからこそ、やり甲斐があります。
生徒だけでなく、私も苦い体験をしていきながら、成長できるのでしょうね。